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横浜地方裁判所 昭和38年(ワ)500号 判決

原告 榎本多津子 外六名

被告 東京芝浦電気株式会社

主文

原告榎本多津子、同尾城彰子、同佐藤信吉、同三松美恵子および同伊藤洋子が被告に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。

被告は右原告等に対しそれぞれ別紙賃金表(一)記載の金員および昭和三八年六月以降毎月二六日に別紙賃金表(二)記載の金員の支払をせよ。

その余の原告両名の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、原告榎本多津子、同尾城彰子、同佐藤信吉、同三松美恵子および同伊藤洋子に関する部分は被告の負担とし、その余の原告両名に関する部分はそれぞれ同人等の負担とする。

この判決は、第二、四項に限り、かりに執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

(原告ら)

原告らは被告に対し、いずれも労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

被告は原告らに対し、それぞれ別紙賃金表(一)記載の金員ならびに昭和三八年六月以降毎月二六日に別紙賃金表(二)記載の金員の支払をせよ。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決ならびに第二項につき仮執行の宣言。

(被告)

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者双方の主張

(原告ら)

請求の原因

一  (一) 被告は、電気機器等の製造販売を目的とする株式会社であり、原告らはいずれも同会社の従業員であり、原告榎本は柳町工場第四製造部冷凍機課に、同尾城は同工場第三製造部ラジオ部品課に、同草地は同工場第三製造部ラジオ課に、同佐藤は同工場冷凍機部化工課に、同三松(編注、旧姓森田)はトランジスタ工場製造部第二製造課に、同伊藤は堀川町工場電子管製造部第一部品課に、同廣(編注、旧姓橋本)はトランジスタ工場製造部第二製造課にそれぞれ所属していたものである。

(二) 原告榎本は昭和三五年一月二八日、同尾城は同三四年一一月二七日、同草地は同三三年一二月一七日、同佐藤は同三五年一一月一四日、同三松は同三四年一月一二日、同伊藤は同年三月一四日、同廣は同年四月一日にそれぞれ被告会社に入社した。ところで、被告は、原告らと被告間の労働契約により形式的・外形的には原告らを臨時従業員として、期間は二か月、賃金も日給と定めていることを理由に、原告榎本に対しては昭和三五年一一月二六日(形式的な期間満了日同年同月二七日)、同尾城に対しては同年同月三〇日(右満了日同日)、同草地に対しては同年一二月三〇日(右満了日同年同月三一日)、同佐藤に対しては同三八年五月一〇日(右満了日同年同月一三日)、同三松に対しては同三七年七月三一日(右満了日同日)、同伊藤に対しては同年七月二八日(右満了日同年同月三一日)、同廣に対しては同年一二月二九日(右満了日同年同月三一日)にいずれも契約更新拒絶(傭止め)の意思表示をした。

二  しかし、

(一) 原告らと被告会社との労働契約は、次の理由により実質的・法律的には期間の定めのない契約であつた。

1 契約締結の当初から、期間の定めのない契約として締結されたものである。

すなわち、原告らのうち廣文子は被告会社に入社する際、臨時工として採用されることを全く知らされず、入社後バツヂのマークやタイムカードをみて始めて臨時工であることを知つたのであり、臨時工であることを知らされていたその他の原告らも被告会社に採用される際、同会社から、「一応臨時工となつているが、まじめに働いていれば首になることはない。結婚してからも働くつもりで長く働くよう。」とか、「君達は一生東芝の従業員として働く人達だ。」「東芝という大船に乗つた気持ちで安心して働くよう。」「女は五〇歳、男は五五歳まで働ける。」等といわれ、原告らはいずれも当然に期間の定めがなく、長期に雇傭されることを確信して、契約の締結に応じたのである。

2 次に、形式的に二か月と定めた契約期間について、当事者間に何らかの意思表示があつたとしても、その期間の定めは、社会的妥当性を欠き、民法第九〇条に違反する無効のものである。原告らの契約期間を二か月と定めたことは、経済的強者である被告がその優越的地位を利用して、いわゆる臨時工制度をつくり出すために経済的弱者である原告らに対し押しつけたものであり、右制度は何ら合理的理由もなく、労働者を一方的に苦しめるものであり、決して許されるべきものではない。被告会社は、会社の臨時の仕事にあてるためという表面上の理由を掲げて原告ら臨時従業員を採用しているが、これは全くの見せかけの理由にすぎない。例えば、被告会社柳町工場では、本採用従業員に対する臨時従業員の比率が極めて高い状態にあり、その作業内容も全く同一であり、臨時従業員は完全に生産工程に組入れられ、その労働なくしては、同工場の機能は麻痺する状態にあり、しかも、その殆んどが長期間にわたり、雇傭されているのが実態であつて、決して会社側の臨時の必要のために雇傭されているものではない。被告側の真の狙いは、二か月という一種の身分制度をつくり、本工と臨時工とを離反させ、その統一と団結を妨げること、臨時工という名目で、賃金を不当な低賃金に抑え、ひいては、本工の賃金をも引き下げること、会社の一方的都合で、単に臨時従業員であるが故に自由に労働者を解雇して路頭に投げ出し、憲法、労働法、判例による解雇権の厳しい制限を免れることにある。右のような臨時工制度は社会的にきびしく非難されるべきであるし、事実、歴史的にみても非難されてきたのである。従つて、本件各労働契約中二か月の契約期間を定めた部分は公序良俗に反する無効のものであり、本件各労働契約は期間の定めのないものであるというべきである。

3 仮りに、右契約当初二か月の契約期間が定められていてそれが有効であつたとしても、被告は、原告らも含めて右二か月の期間を定められて入社したほとんどの者に対し右期間満了後の更新手続を全く杜撰にしており、期間満了後一、二か月もすぎてから行なつたり、あるいは、全く行なわなかつたことすらあり、また、入社後数年にわたつて雇傭されている臨時工がすこぶる多いこと等の事実からして、契約当初の右二か月の契約期間経過後は、期間の定めのない労働契約に変つたものというべきである。

(二) 右述のごとく、本件契約は期間の定めのない労働契約であつたから原告らに対する本件更新拒絶の意思表示は解雇の意思表示と認むべきであるが、それは次の理由で無効である。

1 原告らを解雇するには、労働契約関係の継続を否定するに足りる特段の事情を必要とし、それを欠く本件解雇の意思表示は解雇権の乱用であり、無効である。

2 次に、原告らに対する本件解雇の意思表示は、いずれも不当労働行為であり、また、思想信条を理由とするものであるから無効である。すなわち、

(1) 被告会社柳町工場には本工をもつて組織する労働組合が存在し、昭和三三年一〇月頃から、同組合青年婦人部が主催して「オンチコーラス」という合唱サークル活動が続けられていたが、この活動は、労働者が労働者としての権利に目覚めてゆくのに大きな役割を果していた。そして、このサークルには臨時工の加入も認められていたので多数の臨時工がこれに参加するに至り、中でも原告榎本、尾城、草地の三名は積極的に右サークル活動を行い、その推進力となつていた。ところが、このサークル活動を通じて、一方で本工と臨時工との結びつきが強まると同時に、臨時工の間で労働組合への関心を強め、また、労働者の権利意識に目覚めてゆく傾向が示されはじめたため、被告会社は「オンチコーラス」に強い敵意を抱き、その解体を意図して様々な工作を展開するに至つた。原告らのうち右三名に対する解雇も明らかにこの攻撃の一環として行なわれたもので、サークルの中心活動家を解雇することによつてサークルを破壊しようとしたものである。会社のこのような圧力の前に組合の青年婦人部の役員の間でも動揺が起り、遂に昭和三五年一二月二〇日頃右オンチコーラスは解散となつた。このように組合の青年婦人部が主催し、労働者の権利意識をたかめ、団結することによつて労働者の地位の向上を教える右「オンチコーラス」の活動に参加した故をもつて解雇することは明らかに労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であり、労働法の公序良俗に違反するものとして民法第九〇条により無効であるといわなければならない。また、右三名に対する解雇は、右三名が、もともと労働者の権利意識が高く、「オンチコーラス」の活動を通じて一層労働者は団結して労働者の権利を守らなければならないという信条を強め、かつ、そういう思想的立場にあつたことを嫌悪してなされた解雇でもあつて、いずれも思想・信条を理由とする解雇に該当し、憲法第一四条第一項、労働基準法第三条、憲法第十九条に違反するもので、この点からも無効である。

(2) 原告佐藤も同じように労働者の地位の向上や団結に寄与する活動に積極的であつた。先に原告榎本、同尾城、同草地の三名が解雇され、この三名を中心とする「不当首切り犠牲者を守る会」が結成され、被告会社従業員に対して解雇の不当性を訴え、とくに臨時工の地位の向上のために呼びかけていたが、原告佐藤は進んでこの守る会の会員となり、積極的な活動をしていた。そのために職制から「守る会などに関係していると本工になれないぞ」とたびたび威迫されていた。

また、昭和三六年頃出来た臨時工の自主的組織で、親睦会である「柳友会」の会員になり、会費集めなどをすすんでやり、労働者の団結に少しでも役に立つことには極めて積極的に参加した。そのため、被告会社からは敵意をもつて見られ、職制は佐藤の同僚に対し「佐藤の思想がどんなものか知つているのか。佐藤とは付き合うな。佐藤のような思想の持主は真先に首を切られる。」等と申し向けていた程である。原告佐藤に対する本件解雇はまさにこのような状態の中で行われたものであり、前同様、不当労働行為であると同時に思想・信条を理由とするものであり、無効である。

(3) 原告三松、同廣の両名も同じく積極的な活動家であり、民主的な諸団体に加入し、同僚に対しても進歩的思想を広めていた。とくに、被告会社は、従業員が会社外の諸団体と交流することを嫌つて圧力を加えていた中で、右両名は地域の若者の民主的サークルである「手のひらの会」とか「みどりの会」等に加入し、例えば、昭和三六年一〇月に行なわれた「手のひらの会」主催の運動会には会社から三〇数名の仲間を勧誘して参加した。その運動会には赤旗がたてられ、原告三松が「みどりの会」代表として挨拶したりしたが、これを被告会社の土田第二製造課長が見ており、同課長は二、三日後同課の鈴木高光主任とともに参加者の殆んどの者を呼んで「森田とは口をきくな、あれはアカだ。」とか「あんな運動会に行つたら本工になれない。」などと威圧を加えた。それより約三か月前には、右鈴木主任は三松に対し「お前は民青に入つているだろう。会社をやめた方がいい。」といつており、被告会社は右原告両名に対し革新思想の持主としてもともと敵意を抱いていたのである。昭和三七年六月八日、被告会社は三年以上勤続の臨時工の中から選んで「次の本工登用試験に落ちたら傭止めにする」旨の通知を出したが、原告三松もその中に含まれていた。翌九日の試験当日、受験室において、同女は立ち上り、「会社は、臨時工であつても、よほど成績が悪くなければ本工になれる、また、首を切るようなことはしないといつた筈ではないか。試験に落ちたらどうして首を切られねばならないのか。」と質問したところ、廊下に引張り出されてしまつた。そして、同年七月二五日本工登用試験に落ちたとして、同月末日限り、解雇となつたのである。これに対して、同原告は直ちに、同僚に対し森田解雇の不当性を訴え、寮内で首切り反対のカンパ集めを行なつた。これに対して、会社の意をくむ一部のものが寮の集会で問題にしたが、多数決でカンパ活動は正当であるという結論を出した。しかし、会社側寮管理人はなおもカンパ集めを禁止し、妨害した。会社はもともと右橋本の思想傾向を心よく思わず、これを解雇しようと狙つていたのであるが、廣の右活動によつて、従業員の間に森田の不当首切りの批判が広まるのをおそれた会社側は、活動家である原告廣をこの際解雇することによつてこれをつぶそうと考え、同年一一月、ひとまず、同女に対し福島県にある東芝商事会社に転勤するよう申し渡し、これを拒まれると、同年一二月二九日、解雇の通告をしたのである。

右の経過から次の点が明らかである。

第一に、原告三松、同廣は、原告佐藤と同じく、臨時工の傭止めないし解雇という劣悪な労働条件に対し、その改善、向上のために運動し、かつ労働者の団結を強める活動に参加してきたがために解雇されたものであり、それは不当労働行為を物語るものであること。

第二に、会社側がアカだとか、民青だとかといつて排撃していたことからもわかるように、本件解雇が思想信条を理由とするものであるということである。それらはいずれにしても許されないこと明らかである。

(4) 原告伊藤についても、労働者の権利を守る立場に変りはなかつた。

昭和三六年一二月同じ職場の臨時工の首切り事件が起るや、直ちに守る会を結集して反対運動にとりくみ、あるいは、会社から三年停年制がいい出されると、これに反対するビラを三回にわたつて自分の名前で出して訴え、また、組合の執行部と臨時工で構成され、出版されている週報に「ほこりを持とう」と題して労働者の団結の重要性を説いたりした。

さらに、堀川町工場の組合青婦部でやつている「うたごえ」に参加し、職場の仲間を多勢ひき入れ、自らは「うたごえ」の副幹事となつた。会社側は、これに対抗して「やさしいコーラス」をつくる一方、「組合のうたごえに入つていると、本工にしてやらない。」と圧力をかけたものである。また、昭和三七年六月頃、会社内で、原水爆禁止、物価値上反対、全面軍縮要求の署名活動をやつていた。これらに対し、会社は強い敵意を抱き、折あらば同人を解雇しようと狙つていたのである。同月末日、伊藤が工場の門を出ようとすると守衛が待ち受けていたように、伊藤を呼び止め、持物を見せろと、袋の中に手を入れて、アカハタ日曜版や物価値上反対等の署名簿をとり出そうとした。同女がこれに抗議すると、会社はその後「始末書を書け。」とか「反省の意味で一〇日間の契約書を書け。」と強要してきた。

一方、会社は伊藤に「こういうビラを出しては困る。」と同人が以前書いたビラを見せたりした。会社側の要求は、明らかに不法であり、また、明らかに解雇する構えできているので、同人は会社の右要求に応じられない旨答えると、同年七月二八日解雇を通告してきたのである。右述の如く、原告伊藤に対する解雇も、被告の不当労働行為であり、思想・信条を理由とするものである。

三  仮りに、右二か月の期間の定めが契約当初は固よりその更新後も有効であり、これを原告らに対する更新拒絶の意思表示であるとしても、その意思表示は、次の理由で無効である。

(一) まず被告は原告らに対し、本件更新拒絶権を乱用するものであつて許されない。

1 まず、本件労働契約はその締結の当初から二か月の契約期間が満了しても労働契約関係の継続を否定するに足りる特段の事情がない限り、当然更新されることが右契約締結の前提になつていた。それは、前記のように、契約締結の際「まじめに働いていれば首になることはない。」等といわれた事情や原告ら臨時工はすべて長期雇傭を予定され、実際にも数年にわたつて雇傭されている臨時工はすこぶる多いこと、契約更新手続は全く杜撰で、期間満了後一、二か月もすぎてから行なわれたり、あるいは全く行なわれなかつたことすらあること等から明らかである。そのため原告らとしては、特段の事情のない限り当然に契約が更新されることを確信していたところである。

従つて、何ら特段の理由なくしてなされた被告の原告らに対する本件更新拒絶は、当初の契約の趣旨に反し無効であるといわなければならない。

2 また、前記の如く、契約の更新を重ねた場合には、特段の事情のない限り契約を更新する旨の暗黙の合意が当事者間に成立していたとみるべきである。従つて、本件更新拒絶は、当事者間の合意に反し、無効というべきである。

3 また、被告会社においては、本工の総数に対する臨時工の総数の比率がきわめて高いばかりでなく、作業内容も同一であつて、臨時工は完全に基幹的生産工程に組み入れられ、その労働なくしては、会社の生産機能が麻痺する状態にあつたので、臨時工は期間が満了しても引き続き契約を更新されるのが常態となつており、それは、民法第九二条のいわゆる「事実たる慣習」になつていた。そして、被告会社においても特段の事情のない限り、二か月の契約期間を更新するのが普通であり、また、被告も原告らも右慣習に反対の意思をとくに表示していなかつたのであるから本件契約当事者は右慣習に従う意思を有していたというべきである。しかるに、被告が原告らに対し特段の事情もなく契約期間満了に際し更新拒絶の意思表示をすることは、右「事実たる慣習」に反するものであつて許されないものである。

(二) 被告の原告らに対する本件更新拒絶は前掲二・(二)・2記載と同様(但し、解雇とあるのを更新拒絶((傭止め))の意思表示と読みかえる。)の理由により、不当労働行為であり、思想・信条を理由とするものであるから無効である。

四  ところで、原告らの本件解雇または更新拒絶当時の日給は、榎本が二九五円、尾城が二八五円、草地が四〇五円、佐藤が四四〇円、三松が四五五円、伊藤が四二五円、廣が四一五円であり、榎本は昭和三五年一一月二七日まで、尾城は同年同月三〇日まで、草地は同年一二月三一日まで、佐藤は同三八年四月一五日まで、三松は同三七年七月三一日まで、同伊藤は同年七月二八日まで、同廣は同年一二月三一日までの各賃金を支払われているから被告は原告らに別紙賃金表(一)記載の金員および昭和三八年六月以降毎月二六日に(前月の一六日から当月の一五日までの分を当月の二八日に支払うことになつている。)同賃金表(二)記載の金員を支払わねばならない。なお、原告らが傭止めの通告を受けた月の未払賃金残額は、稼働可能日を、それぞれ原告榎本は一六日、同尾城は一三日、同草地、同三松、同伊藤、同廣はいずれも一二日と、また、それ以後の月額は、一か月の稼働日数を各二五日としてそれぞれ算出したものである。

五  以上のとおり、被告が原告らに対してなした本件解雇または更新拒絶の意思表示は無効であるから、原告らは被告に対し労働契約関係存在確認と現在までの未払賃金および将来の賃金の支払を求めるため本件請求をする。

被告の主張に対する反論

原告らは、被告の主張に対し、次のとおり反論する。

一  榎本多津子に対する主張事実中、同人の入社および更新拒絶の日時については認めるが、その余は否認。

1 原告榎本の所属したフレオン班においては、二交替制は実施されず、会社主張の昭和三五年四月以降特に同人解雇以後も、同班に、女子臨時工を新たに募集編入しており、作業自体もますます多忙になつたのであつて、女子削減の必要はなかつた。

2 次に、所定の残業に対して非協力であつたとの点については、およそ労働基準法の精神からすれば、残業しないことを理由に労働者を解雇すること自体許されないのであり、更に「所定」の残業というが、同人が残業を断つたという五月二八日、六月一日、八月一七日はいずれも、水曜日または土曜日であり、同人は入社の際被告から「水曜日、土曜日は、女子の残業はない日である。」と告げられているから「所定外」の残業であつた。

3 同人が解雇されるとき会社主張の給料及び解雇予告手当を受領したことは認めるが、その実情は、同人は、数名の勤労課員に解雇予告手当を受けなければ、ここから出さないといわれて監禁状態にされ、あらかじめ勤労課で「榎本多津子」と署名してある受領書に、強制的に手をもつて押印させられたのであつて、もとより任意に受領したものではない。

二  尾城彰子に対する主張事実中、同人の入社、更新拒絶の日時および同人が高校卒であることは認めるが、その余は否認。

1 契約当時、被告会社は高校卒の者を本工にするには事務職員とする以外にないなどといつておらず、更に、原告自身も事務職員になりたいと思つていなかつた。

2 勤務成績についても、同人は被告から仕事のことで注意を受けたことはなかつた。

3 次に、ラジオ生産の減少傾向にともなう人員調節の主張については、当時柳町工場全体としては人員募集新規採用を行つていたのであるから、かりに、ラジオ部門で、人員調節の必要があつたとしても、他の部課への配転等を行なえば足り、解雇しなければならない事情はなかつた。

三  草地に対する主張事実中、同人の入社、更新拒絶の日時、会社主張の高校を卒業し、本工登用試験に二回不合格になつたことおよび同人に対して通勤補助金の支給のあつたことは認めるが、その余は否認。

1 通勤補助金を不正に受給していたとの主張については、本人が転居届をすれば、自動的に庶務係で通勤補助金の手続をすることになつていた。

また、右補助金の返済についても、被告は、同人が返還しようとしても受領せず、放置していたものである。

2 本工登用試験に二回不合格になつてもこれまで何の間題にもならなかつたのであるから、解雇理由にすることは失当である。むしろ、登用試験制度自体が、思想・信条を理由として、臨時工をふり分ける不当な制度なのである。

四  佐藤に対する主張事実中、入社、更新拒絶の日時および会社柳町工場入社前に会社主張の他会社に勤務していたことは認めるが、その余は否認。

1 塚越分工場転属については、佐藤は、被告に雇傭されてから終始メツキ工として勤務していたのであつて、メツキ室の仕事以外に就労したことがなく、同人が被告から、メツキの仕事のない塚越分工場に転属を強要されたことに不満を持ち、これを拒否したとしても解雇理由にすることは失当である。

2 被告は、同人の通勤手当の不正受給を主張するが、同人は住民票と会社に対する届出住所を一致させたいと考えていながらも、毎月四〇ないし五〇時間も残業しているので住民登録を移す時間がとれなかつたのであり、また、同人が四月五日被告組長に対し、「住所変更届を出すべきかどうか」を尋たところ、そうした方がよかろうとのことで、同日住所変更届を済ませ、同時に三か月分の通勤手当八七円を返還した。ところが、五月六日頃になつて右組長が、また右八七円を佐藤に渡すので不審に思い、勤労課に問い合わせると「給料のときに清算する。」とのことであつたから、そのままにしていたのである。

3 また、被告は前歴詐称を主張するが、被告会社に入る前、丸井ガラスに勤務したことの有無などは、被告会社の採用にも、転属にも、賃金決定にも、作業能力にも、その他何事にも業務上は関係のないことである。また、同人は丸井ガラスで問題とされるようなことはなかつた。

五  伊藤に対する主張事実中、入社および更新拒絶の日時については認めるが、その余は否認。

なお、被告会社は、点検拒否が就業規則違反だというが、臨時工の意見をきかず本工組合の意見のみによつてできた就業規則には「日常携帯品以外の物品をもつて出入りするときは、所定の手続を経て警備員の点検を受けなければならない」と規定されている。従つて、日常携帯品以外の物品をもつていなければ、点検を受ける義務が発生しない。伊藤が当日持つていたのは、新聞五、六部、ノート、署名簿を含めて袋に入る程度のものであり、これらは明らかに日常携帯品である。その上、伊藤は警備員に袋の中を見せたのに同人が「新聞は何だ。」というから問題が起きたのである。

六  三松に対する主張事実中、同人の入社および更新拒絶の日時については認めるが、その余は否認。

1 三年停年制なるものがいつきめられたか明確でないが、森田が入社した当時右方針が存しなかつたことは明らかである。同人は、会社から本工登用試験直前の昭和三七年六月八日に右方針を知らされたが、森田はこれに同意したことはなく、むしろ、反対していた。

このように、三年停年制は、森田採用後に被告会社が一方的にきめただけであつて、就業規則上の定めでもなく、労働契約の内容にもなつていなかつた。

2 被告は、三松をどの作業に従事させても苦情ばかり述べていた旨主張するが、第二作業課の作業環境をみると、製品の品質管理上、夏冬通して温度二五度プラスマイナス一度、湿度は四五%に調節されている。これによると、外気との差は大きく、職場内では、夏は身体が冷え込み、冬は身体が火照つていつも鼻や喉や唇が乾き、神経痛や蓄膿症が職場病として発生する環境である。同女は全作業員を代表してこのような職場環境を指摘したのであるが、これをとらえて苦情だとして、解雇理由にしていることは、被告は、会社に対し、少しでも不満を述べたり、要求を提出するような者は解雇するという方針をとつていたことを明らかにしている。しかも、同女が温度のことを指摘したのは、製品に悪影響を生ずるためでもある。

3 被告は三松が昭和三五年八月頃より欠勤が多く、出勤率が不良であるというが、同人は、会社の職場環境が悪いため、鼻の手術で約一か月間入院していたのであるから、これをもつて解雇の理由にするのは失当である。また、作業能力、勤務態度についても、上司から注意を受けたこともなく、他の人々より劣つていることはなかつた。

七  廣に対する主張事実中、入社および更新拒絶の日時および東芝商事への転出を拒否したことは認めるが、その余は否認する。

なお、被告主張の東芝商事転出の経緯については、常に強制的な交渉であつて到底「配慮」などというものではなかつたし、入社後三年半も経つてから同人を未成年者とか、親元からの通勤とかいつて同商事への転出を理由づけても筋がとおらない。

(被告)

答弁

一  (一) 請求原因一の(一)の事実は認める。

(二) 同(二)は次に述べる点を除き認める。

1 原告らに対する賃金は日給ではなく、日当であつた。

2 被告会社は原告らを形式的・外形的にのみ雇傭期間を二か月とする臨時従業員として雇傭したものではない。

右契約期間を二か月と定めたのは、流動的な工場人員の編成は生産品の種類や市況(国内市況のみではなく、世界市況も含む)とにらみ合わせて、科学的・計画的に、しかも流動的に、長期・中期的展望から行なう必要があるが、現実に右展望を実行していくには、臨時工の雇傭期間は二か月が妥当と認められたからである。

二  (一) 同二の(一)の主張はいずれもこれを否認する。

すなわち、会社と原告らとの雇傭関係が終了するに至つたのは、後記の如く各原告毎に異つた事由があつたので雇傭期間の満了に当り会社が更新拒絶の意思表示をしたことに因るものであつて、使用者が雇傭契約の存続中にこれを断絶するという所謂解雇をしたものではないから、解雇を前提とする不当労働行為とか解雇権の乱用というが如き原告らの主張はいずれも失当である。

1 なお、原告らは、その作業内容が正規従業員と同一であつた旨を主張するが、臨時従業員を雇い入れるのは、作業内容自体を正規従業員と区別して作業させる目的からではなく、正規従業員だけでは差当りの作業消化に不十分な場合や、景気の変動に対処し、若干でも調節的機能を持たせるために採用しているのが、現在の産業界一般の共通する現象である。

また、元来臨時従業員は正規従業員に比し、定着性に乏しく、はなはだしきは採用の翌日には出勤しない者さえみられるのであつて、かかる定着性を欠く臨時従業員と、本来的には生涯雇傭を想定している正規従業員とで、その取扱いを異にすることは産業界一般にひろく認められており、被告会社においても、処遇上両者に差異を設けていることは世間一般と同様であるが、賃金の水準においては何ら差異はなく、更に臨時従業員を正規従業員に登用する途も講じているのであつて、被告会社が臨時従業員を不当に取扱つたとするのは当らない。被告会社において、臨時従業員を正規従業員に登用するに当り、正規従業員としての適格性を判定するため試験を課しているが、これは正規従業員に比し十分吟味しえない臨時従業員の採用事情からして必要な措置である。

2 次に、被告会社が原告らを傭止めするまでの間、後述のとおり、雇傭期間を切り替えたことはあるが、その更新手続が杜撰であつたとの点については、期間満了の際その都度明確に期間を定めて、双方合意の上新たに締結したものであつて、漫然とその契約を継続していたものではなく、また、同一契約書を二通作る慣例であつたことや、未成年者については、親権者の同意を得させる方法をとつていたため、とかく提出時期が遅れる場合もあつたが、一般的に杜撰に行つたことはない。因みに、原告らの契約更新回数は、原告榎本が五回、同尾城が六回、同草地が一二回、同佐藤が一五回、同伊藤が二一回、同森田が二二回、同橋本が二三回であつた。

(二) 同(二)の主張はいずれも否認する。なお、原告らの「オンチコーラス」についての主張は、全く事実を歪曲した言いがかりというべきである。被告会社の正規従業員で構成する労働組合の文化活動の一環として組織された右「コーラス」に被告会社が介入する筋合でもなければ、事実としても何ら容喙していない。労働組合の組織としての合唱団の消長は被告会社の関知するところではない。

三  同三の主張はいずれも否認する。

四  同四の主張中本件各傭止めの年月日当時の原告らの各日当額が原告らの主張のとおりであることおよびその日当の支払時期、計算期間を認めるが、その余の事実は否認する。

五  同五の主張は争う。

その余の主張(原告らを傭止めにした各事由)

そもそも、被告は、次の理由により、原告らに対しそれぞれ更新拒絶の意思表示をしたのである。

一  原告榎本多津子

(一) 同人は、柳町工場において昭和三五年一月二八日に契約期間を二か月とする臨時従業員として雇傭し第四製造部冷凍機課に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約締結して、同課において冷凍機組立工程の外装及び電装作業に従事せしめていたものであるが、昭和三五年一一年二七日の契約期間満了により傭止めしたものである。

当時、柳町工場の冷凍機製造部門においては、二交替制を実施する必要に迫られ、三五年四月以降部分的に実施していたが、従来雇傭してきた女子従業員を深夜業務につかせることは、法規上許されないので、男子をもつて女子に代えなければならなかつた。しかし、当時の労働事情は、短時日の間に所要の男子要員を確保することは極めて困難であつたためやむなく逐次女子に代えて男子の要員の漸増を図るの外なかつたのである。

一方、同人はその作業成績が低位であり、また業務の都合上残業日の変更があつた場合所定の残業に非協力である等、同工場従業員として好ましくない状態であり、また性格的にも共同作業を主とする職場の作業員として適性を欠く等、職場の評価も低かつたので、契約期間満了を機に、前記女子削減措置の一環として傭止めしたのである。

(二) 同人は、傭止めの通告を受けた際、直ちに当該月の賃金金三、三八九円及び予告手当金八、四九九円を受領し、臨時従業員証その他をそれぞれ返還したのである。なお、昭和三五年一一月中に柳町工場において、雇傭期間満了と同時に傭止めを通告した人員は、一一名である。

二  同尾城彰子

同人は、柳町工場において昭和三四年一一月二七日二か月の契約期間を定めた臨時従業員として雇傭し、第三製造部ラジオ部品課に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約を締結して、傭止めに至るまでの間、トランジスタラジオの部品、中間周波トランス組立作業に従事せしめていたものである。同人は、高等学校卒であるから、正規従業員として採用する場合は、その学歴よりして事務職員とする外ないのであるが、その成績よりみて事務職員として採用の見込みは全くなく、さればといつてその性格も一般同僚との融和性に乏しいため、現場にとどめておくことも問題であつたのである。

第三製造部のラジオの生産については、昭和三四年頃から作業量が急激に上伸したものの、昭和三五年四月をピークとしてその後減少の傾向が認められ、生産計画上閑散となる見通しであつたため、人員配置についても時期を失しないよう調節する必要があつたと認め、雇傭期間が満了する昭和三五年一一月三〇日をもつて、同人に傭止めを通告したのである。

三  同草地茂治

同人は、柳町工場において昭和三三年一二月一七日、契約期間を二か月とする臨時従業員として雇傭し、柳町工場第三製造部ラジオ課に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約を締結して、傭止めに至るまでの間、トランジスタラジオの調整及び修理作業に従事せしめていたものである。

同人の仕事振りは、極めてむらがあり、傭止め前六か月位より殊に著しく能率が低下して来たので、上司は同人に対し強く警告し、結局三五年一〇月中旬その職場を調整作業に変更したが、依然として能率低下の傾向は強くなる一方であつたので、同人の措置を検討していたところ、たまたま同人が、長期間にわたり給与に関し通勤補助金を不正に受領していた事実が判明したのである。本来ならば、即時解雇の方法を講じても然るべきであつたが、一応契約期間満了をまつて傭止めすることとして、即時解雇の方法をとることは見送り、昭和三五年一二月末日、契約期間満了にあたり傭止めを通告したものである。

なお同人は、昭和三〇年三月本所工業高校電気通信科を卒業しているのであるが、正規従業員採用試験には、既に二回不合格となつているのである。

四  同佐藤信吉

同人は、柳町工場において、昭和三五年一一月一四日二か月の契約期間を定めた臨時従業員として雇傭し、第四製造部冷凍機部品課(昭和三七年八月一五日付組織変更により冷凍機部化工課となる)に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約を締結して、傭止めに至るまでメツキ工として勤務させていたものである。

たまたま昭和三八年初めから柳町工場所属の特殊冷凍機器組立工場として整備中であつた塚越分工場は、機械設備の移転の終了に伴い、同年四月から本格的稼動の運びとなつたので、冷凍機部第二冷凍機組立課所属員全員を異動せしめた他、なお人員充足のため、冷凍機部から若干名の部内機動配置を行うことになり、同人所属の化工課には、その要員として一名を割り当てた。化工課においては、当時比較的に労務の逼迫していないメツキ室の中から人選することとし、単純作業従事者で作業上の支障の殆んどない者、塚越分工場近辺に居住する者という目安で同人を選び、四月三日同人に対し配属替えの申渡しをした。しかるに、同人はこの配置替えは突然で人権無視である。分工場は環境も悪いし、通勤に不便である等の理由を挙げて右申渡を拒否する態度を示したので、会社としては柳町工場の従来の第二冷凍機組立課所属員の全員の塚越分工場への異動は円滑に行われたが、それだけでは足りないので、なお若干名の補充のため部内の配属替えをする必要がある理由を懇々と説明したが、同人はこれに一切耳をかさず、頑強に拒否した。翌四月四日、五日とひき続き説得を重ねたところ、同人は、保証人とも相談したいというので、強いて即答を求めず再考の時間を与えたが、言を左右して遂に期待した回答は得られなかつた。

右説得の過程において、住所については、昭和三七年一二月既に転居しているにも拘らず、右届出をしないで通勤手当を不正受給していたことが判明し、その追及を受けて始めて四月五日付の住所変更届を提出するという有様であり、また保証人に相談したと言明しながら、その事実のなかつたことや、前歴についても、柳町工場入社前、他会社に勤務していたに拘らず、農業に従事していたと詐つていた事実も判明した。

以上の理由を勘案して、昭和三八年五月一三日契約満了をもつて傭止めしたものである。

五  同伊藤洋子

同人は、堀川町工場において、昭和三四年三月一四日に契約期間を二か月とする臨時従業員として雇傭し、電子管製造部部品課(昭和三五年三月一日付組織変更により電子管製造部第一部品課となる)に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約を締結し、傭止めに至るまでメツキ係として勤務させていたものである。

同人との雇傭契約が終了するに至つた経緯は、次のとおりである。

昭和三七年六月二八日退社の際、警備員が就業規則による通常点検を行つていたが、同人に対し、同人の携帯品包みの呈示を求めたところ、「私物は見せる必要がない。何故調べるのか。」と抗議し、退社中の従業員や通行人に対し、「警備員が私を盗人扱いにする。侮辱している。人権蹂躙だ。この出来事をビラにして流す。」等と大声でわめき立て、最後まで点検を拒否した。

右点検拒否の事実につき、事実調査と釈明を求めるため、七月二日警防課係長および係員並びに所属上長立会いのもとに同人を呼出したが、同人は点検拒否の事実を認めたが、「点検は不法である。私には自由というものがある。生きる自由、働く自由がある。会社は憲法違反の製品を作つている。会社といえども憲法の枠の中にある筈だ。私のしたことは正しい。」と主張して、少しも反省の色を示さず、また事実顛末書の提出を命じたところ、家へ帰つて考えるといい、書くことを拒否した。翌七月三日顛末書の提出を命ずるため、再度警防課に呼出したところ、「家へ帰つてすぐ寝てしまつたから考えていない、書けません。」と愚弄的言辞を弄し、ついに顛末書の提出を拒否してしまつたのである。七月五日所属課長が同人を呼んで訓戒したが、逆に上司を説教するごとき態度をとる有様で反省の色は全く示さなかつた。

七月二八日勤労課長及び所属上長が同人を呼んで、同人の点検拒否が就業規則に違反する行為であることを説き、同人との雇傭契約は七月末日で雇傭期間が終了するが、八月一日より十日間雇傭契約をするから、その間に十分反省して善処するよう繰返し勧告したが、「就業規則は会社が勝手に作つたものだ。私は悪いことをしないから反省もしないし、顛末書も書かなかつたのだ。顛末書は貴方が書けばよいではないか。」等と放言して、八月一日以降の契約の調印をも拒否し、終業時刻に至るや同人は、「サイレンが鳴つたから行きます。私は今日山へ行かなきやならないの。」と云つて席を立つたので、契約をしなければ八月一日からは契約がなくなり、当然会社へ来られないがそれでもかまわないのかと重ねて再考を促したが、同人は、「契約書は書きませんよ。私がいやだつたら仕様がないよね。」と云つて面談室を飛び出してしまつたのである。

このため同人との雇傭契約は、七月末日を以つて終了する結果となつたのである。

六  同三松美恵子

同人は、トランジスタ工場において、昭和三四年一月一二日に契約期間を二か月とする臨時従業員として雇傭し、製造部第二製造課に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約を締結して、同課においてトランジスタの組立製造作業に従事せしめていたものである。

トランジスタ工場においては、正規従業員になる機会を何回にもわたつて与えたにもかかわらず、受験を放棄したり、受験しても不合格となつて、臨時従業員としての就労が三年以上経過した者については、その際行う選考を最後とし、これを放棄したり、あるいは不合格となつた者は従業員としての適性も不十分であり、将来に期待することも困難と認めざるを得ないので、三年を最高限度として、爾後の契約はしないこととしているのである。

昭和三七年七月に実施した選考の際にも、右に述べた条件の該当者三松外三〇名に対し、その趣旨をあらかじめ通知し、受験の最後の機会を失しないよう特に配慮したのである。

一方、同人の所属していた第二製造課は、高周波トランジスタの組立作業を行つている職場であり、同人には当初この組立作業の中のマウントの突込作業に従事させていたが、数次にわたり疲労を訴えてやまないので、これよりも簡易な作業であるペレツトソウテイング・マシンの抜取測定をさせたところ、これまたこの作業は、目がチカチカすると苦情を述べてきた。従来この作業についてそのようなことを訴えて来た者はないが、ともかくそういう惧れもなく、かつ単純な作業であるアローイング・タブ詰め作業を命じた。しかるにそれも束の間で、この作業はうつむき加減で仕事をするので頭が重いと申出て来たのである。職場の責任者としては、同人の事情による度重なる作業変更ではあるが、当時同人が鼻の手術をした医療事情を特に勘案して、マーキングの補助的作業に従事させることにしたのである。その職場は完全な空気調節が行われ、夏冬通して二五度、湿度四五%の標準を維持しているので、作業者にとつて最も快適な作業環境にあるにもかかわらず、同人は温度計を持ち出して、「温度が一度高い」とか、「二度高い。これでは身体が疲れて仕様がない」とかいつて、その非能率を職場環境のせいにすりかえていたのである。

前述のような事情に加えて、同人は昭和三五年八月頃より欠勤が目立つて多く、出勤率の不良と相まつて、同人の作業能力に必然的に悪影響をもたらす結果となつたのである。

このように同人は作業能力も劣り、また勤務も極めて悪く、正規従業員採用の選考にも不合格となつたので、昭和三七年七月二五日前記予告の通り七月末日の契約期間満了をもつて傭止めする旨通知し、更に七月二七日傭止め通知書を同人に交付し、同時に従業員証の返還を受けたのである。

七  同廣文子

同人は、トランジスタ工場において、昭和三四年四月一日二か月の契約期間を定めた臨時従業員として雇傭し、高周波トランジスタの組立てを行つている製造部第二製造課に配属し、期間満了の際は新たに臨時従業員としての契約を締結して、後傭止めに至るまで、同課に所属せしめていたものである。

昭和三六年九月、同人をドリフト型トランジスタの発振電圧測定の作業に従事せしめ、その後同年一一月に同系統の作業であるドリフト型トランジスタ一・五メガサイクルの増幅率測定の作業に従事せしめたが、この作業は、一回の検査をもつて職場としての最終の検査となるものである。

同人がこの作業に従事するようになつた頃より、工場として最終的に倉入抜取り検査を行う課である品質管理課から、不合格返品が大量にまた頻々と送り返されてくるようになり、その原因を調査したところ、測定器自体には全く誤差はないので、更にこの作業に従事している者(当時四名が従事していた)の作業内容につき個々に調べた結果、その原因が同人の居眠りや雑談に起因する測定上のミスによるものであることが判明した。職場の上長としては、このような同人の態度を改めさせるため、度々注意を与えていたが、同人はこれらの注意に耳を傾けるどころか嘲笑するというような態度をとり、一向にあらたまる様子がなかつた。このため三七年九月、比較的重要度の低い、前に従事していた高周波トランジスタの逆特性の検査に戻した。

しかるに、同人は、作業場が変り、責任の度合が軽くなつたのを幸として、前述のごとき態度を改めないのみならず、仕事をためておいて作業中に雑談するということも多くなり、また歌を歌つたり、歌詞を紙に書いていたり、或いは雑誌を広げて読んでいたり、更には作業中しばしば離席し、しかも長時間にわたつて席に戻らず、上長の注意、指示、命令に対しては、返事のみで全然従おうとしなかつたのである。このため職場としては、同人は当工場のごときこまかい業務には全く不適格であると判断するに至つた。加えて、同人はかねてより鼻の病を持つていたため、このような現場作業でない他の職務への配転の可能性につき検討もしたのであるが、現場においては事務補助的な間接作業の仕事は極めて少い範囲に限られ、また三七年一〇月当時は、間接人員が多すぎるため、全社にわたつて規制を実施している最中であつたため、工場内においては同人を受け入れることは至難事であつた。

たまたま三七年一〇月頃、当社の販売部門を担当し、一体関係にある東芝商事より、販売部門強化の一環として東芝全工場に対し地方への転出可能者の照会があつたため、当工場でもこれに適合する対象を検討中であつたが、右照会中には郡山営業所の事務補助的業務の従事者の要員があつたため、同人が未成年者であることも勘案して、親元より三〇分以内で通勤可能な同人をこの業務に移してやるよう配慮することとし、昭和三七年一〇月、同人にその話をしたところ、同人は親元とも相談したいとのことであつたため、帰郷の便宜を取り計らい、十分相談する機会を与えたのであるが、上京後同人は何等特別の理由をあげることなく、会社の配慮を拒否したのである。

このため同人の契約期間は、三七年一一月末日をもつて満了したのであるが、同人の親に対しても右商事への推薦の意向を伝えていたので、特に考慮期間として同年一二月末日までの一か月間の契約を行い、協議再考の機会を与えたのである。

然るに同人は、一か月間の猶予期間中何らの回答もすることなく徒過し、一二月末日に一か月の右契約が満了するためあらためて右商事への転出の決意方をすすめたが、これをも最終的に拒否したので、一二月末日の契約期間の満了をもつて傭止めせざるを得ないことになつたのである。

以上の次第であるから、原告らの本件請求はいずれも失当であつて棄却さるべきである。

第三立証〈省略〉

理由

一  被告(以下会社という。)は電気機器等の製造販売を目的とする株式会社であり、原告榎本は昭和三五年一月二八日、同尾城は同三四年一一月二七日、同草地は同三三年一二月一七日、同佐藤は同三五年一一月一四日、同三松は同三四年一月一二日、同伊藤は同年三月一四日、同廣は同年四月一日それぞれ会社に入り、いずれも入社当時会社と契約期間を二か月と記載してある臨時従業員(以下臨時工という。)としての労働契約書を取交してその従業員になつたこと、その後会社は、原告榎本について五回、同尾城について六回、同草地について一二回、同佐藤について一五回、同三松について二二回、同伊藤について二一回、同廣について二三回にわたつて右契約を更新したが、原告榎本に対しては同三五年一一月二六日に同月二七日の、同尾城に対しては同年同月三〇日に同日の、同草地に対しては同年一二月三〇日に同月三一日の、同三松に対しては同三七年七月三一日に同日の、同伊藤に対しては同三七年七月二八日に同月三一日の、同廣に対しては、同年一二月二九日に同月三〇日の、同佐藤に対しては同三八年五月一〇日に同月一三日の、右各期間満了日をもつてそれぞれ右労働契約更新拒絶の意思表示をなし、右満了日後の原告らの就労を拒否していること、右更新拒絶の意思表示がなされた当時、原告榎本が会社柳町工場第四製造部冷凍機課に、同尾城が同工場第三製造部ラジオ部品課に、同草地が同工場第三製造部ラジオ課に、同佐藤が同工場冷凍機部化工課に、同三松がトランジスタ工場製造部第二製造課に、同伊藤が同堀川町工場電子管製造部第一部品課に、同廣が同トランジスタ工場製造部第二製造課にそれぞれ所属していたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  まず、会社は、原告らに対する本件労働契約は名実ともにその期間を二か月とする臨時工として雇傭した旨主張するので、本件労働契約の法的性質について判断する。いずれもその成立に争いのない甲第一、二号証、同第一七号証の一、二、同第一八号証の一、二、同第一九号証の一、二、同第二〇号証の一、二、同第二一号証の一、二、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる同第三号証および同第一三号証、いずれも成立に争いのない乙第一ないし三号証、同第四号証の一、同第五および同第六号証、同第七号証の一、二、同第八号証の六の(イ)、(ロ)同第九号証の一〇および一三、証人木村琢磨の証言によつてその成立の認められる同第八号証の六の(八)、証人藤川太朗の証言によつてその成立の認められる同第九号証の二〇および証人梅津正隆の証言によつてその成立の認められる同号証の二一ならびに右各証人のほか証人山口洋子、同岩原シズエ、同渡辺深雪、同橋本英一、同渡辺ユリ子同渋谷明子、同三松道尚および同藤川太朗の各証言、原告ら各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

「会社は昭和三四年頃当時の日本経済界の好況に伴いその生産が上昇し設備投資に伴う労働力の不足に悩み労働者を手広く全国的に募集していたが、会社においては、その従業員中に正規従業員(以下本工という。)と臨時従業員(以下臨時工という。)の種別があり、本工と臨時工の主な相違点は、(1)臨時工には本工に適用されるべき就業規則と内容の異なる臨時従業員就業規則(別紙抜萃をふくみ以下臨就規という。)を定めて、これを適用される取扱いとされており、臨時工は、本工労働組合に加入できず、非組合員とされ、労働協約の適用もないこと、(2)その採用基準も臨時工に比して本工のそれは厳格に行われているとはいえ、給与体系、労働時間等において本工のそれに比してかなり不利に定められていることが挙げられるところ、その従事する仕事の種類、内容の点では、本工と臨時工とで何らの差異もなく、会社の全従業員中本工と臨時工の比率は昭和三五年七月末日当時本工の三万二、九二一人に対し臨時工は一万六、九八〇人で本工総数の五一・六パーセントに達しており、しかも、臨時工の殆んどが長期間にわたつて継続して雇傭されていること、原告らは、いずれも職業安定所(以下職安という。)の紹介により、採用試験を経た上で入社したが、原告らのうち三松美恵子および廣文子の両名は、入社した日あるいはその翌日頃会社において係担当者から、また、それ以外の原告らはいずれも、応募の際職安において、そこに出向いていた会社の係担当者から、それぞれ雇傭期間を二か月とする臨時工として雇傭する旨およびその他臨就規所定の労働条件について説明を受けたが、その際原告らはいずれも、被告会社の係担当者から「右二か月の期間が満了しても真面目に働いていれば解雇されるようなことはない。安心して長く働いて欲しい。」、「一年経てば本工登用試験を受けることができる。」旨、又は「真面目に働けば本工登用試験に合格するので、そうなれば停年迄いられるから、その方向でやってほしい。」等の説明を受けていること、原告らはいずれも、会社の右説明により契約書ならびに臨就規中に記載されている右期間の定めにかかわらず将来にわたつて継続して雇傭されるものと信じて、会社と前記労働契約書を取交したこと、その後、会社は原告らに対する右契約期間が満了しても、必ずしもその都度、直ちに新契約締結の手続をとらず、原告らが引続き前と同じ労務に従事した後数日を経てその手続をとることもあつたこと、臨就規第三三条には年次有給休暇の定めがあつて、それにも一年以上の雇傭が予定されている(就中、休暇年度の始期において継続雇傭一年以上に達した者であつて、前休暇年度中、所定労働日数の8割以上勤務した者の休暇日数を6日と定めた上、以後継続雇傭一年毎に一日を加え20日を限度としている。)こと、原告森田および同橋本に対し、雇傭契約後三年以上の日子を経過してからことさら臨時工の三年傭止め制を通告していること、臨時工の募集広告(甲一ないし三号証)には何ら二か月の期間を定めた臨時工である旨の記載のないことおよび本工登用試験に数回不合格の者でも、任意退職して行つた者以外には、相当数の者が引継ぎ雇傭されていたこと。」

以上の事実が認められ右認定に反する証人梅津正隆および同木村琢磨の各証言部分ならびに乙第一八号証の一八同第九号証の一八の記載内容はにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、右事実と前示一の事実とを綜合すれば、会社と原告らとの間に締結された本件各労働契約は、固より正規従業員(本工)契約とは異なり、本工登用試験の合格により本工に採用されうる、当初は有期(二か月)の労働契約であつたが、この二か月の雇傭期間の定めは叙上の事実関係の下において本件各労働契約が締結されかつ数回ないし二〇数回に亘つて更新され原告らが引続き雇傭されてきた実質(いわゆる連鎖労働契約の成立)に鑑みれば、殊に会社の設備拡張、生産力増強に伴う緊急の労働力需要に基く過剰誘引とその利用関係の維持に由来することからしても、漸次その臨時性を失い本件各傭止めの当時にはすでに存続期間の定めのない労働契約(本工契約ではない。)に転移したものと解するのが相当であるから、原告らに対する会社の本件労働契約更新拒絶の意思表示は法律上解雇の意思表示とみるべきであつて、臨就規第八条所定の「契約期間が満了したときは解雇する。」旨の規定は本件各解雇当時においてはすでに原告らに対してこれを適用するに由なく、これに準拠して原告らの雇傭関係上の権義を消滅させることは許されないというべきである。したがつて、本件労働契約が右のごとく更新されてもなお終始有期の契約たる法的性質を失わないものとして当該期間の満了に際し更新拒絶しさえすれば雇傭関係が終了するという見解に専ら依拠する会社の主張は不当であつて、この点についての原告らの主張は、その余の争点につき判断するまでもなく、肯定しうるものとせねばならない。

三  ところで、会社は、原告らに対する傭止め(期間満了による更新拒絶)の理由をるる述べているが、前示のとおり会社のなした原告らに対する本件傭止めの意思表示はこれを法律上解雇の意思表示とみるべきところ、およそ就業規則に解雇基準条項が定められている場合には解雇事由はそれに限定され、しかもそれに該当する事実が存した場合でもその内容が解雇をもつて臨むに相応しいものであるときにのみ解雇権の発動が正当化されると解するのが相当であつて、単に生産計画に伴う過剰人員排除の必要性という一般的事由のみで労働者を解雇しえないことは勿論であるから、この見地に立つて会社の原告らに対する本件各傭止めの理由を解雇の理由として主張しているものとみた上で、以下順次本件解雇の意思表示の効力について判断する。

(一)  原告榎本多津子については、会社はまず、昭和三五年一一月当時会社柳町工場冷凍機製造部門において二交替制を実施する必要があつたので従来雇傭していた女子従業員を深夜業務につかせることは法規上許されないので女子を男子に替えなければならないため、女子従業員削減措置の一環として同原告を傭止めした旨主張し、右二交替制実施の必要性については、証人木村琢磨の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第八号証の一八、二〇、証人鈴木あや子の証言、同原告本人尋問の結果を綜合すれば、柳町工場全体としては生産増強の必要からこれを実施せんとしその一部は実施に着手したが、同原告が当時所属していたフレオン班(冷蔵庫にフレオンガスを入れる作業をする班)は未だ二交替制の実施に入らず、むしろ女子従業員の増員があつたことが認められ、他に会社の右主張を確認するに足りる証拠はない。次に会社は、同原告の残業非協力を主張し、証人木村琢磨の証言および同証人の証言によつて成立の認められる乙第八号証の一七、二〇によれば、同原告は、同三五年五月二八日(土)、同年六月一日(水)および同年八月一七日(水)の三回にわたつて残業を断つたこと、臨就規第一八条には「業務上必要あるときは時間外勤務をさせる。」旨の規定があり、正規の手続を経て有効に成立した時間外勤務協定の範囲内においては、いずれの日に、誰に、どの業務について何時間の時間外勤務を命ずるかは使用者に決定権があり、予め業務命令として指示できることが認められるとはいえ、証人鈴木あや子および同木村琢磨の各証言および同原告本人尋問の結果を綜合し弁論の全趣旨に徴すれば、同原告は、その入社に際し会社から「女子従業員には水曜日と土曜日は残業のない日である。」と告げられており、右三回の拒否はいずれも水曜日ないし土曜日にあたつていたこと、右残業はいずれも、すでに他の日に決まつている残業日を変更したものであつて、しかもその残業日変更通知は当日の終業時間間際になされることが多かつたこと、右以外にも水曜日ないし土曜日に残業日が変更されたことがあるが、同原告はそれら全てを拒否したものでないこと、変更された残業の諾否については、従業員の自由であつたこと、同原告の右残業非協力について当時会社から何ら注意を受けたことのないことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。右事実によれば、右三回の残業拒否は正当な事由があつたもので臨就規第八条七号、第九条一号に定める「正当な理由なく、会社の指示命令に従わないとき」にあたるものとはいえず、企業活動の必需性から結果的に会社の指示命令に従わなかつたことにより非協力的であるかのごとく見えかつ本人の残業拒否の態度にも問題はあつたであろうが、これを以て直ちに非協力で好ましくないとするのは会社側におけるいささか専恣な考え方であつて、この点についての会社の主張は採用するに由がない。また、会社は同原告の性格、勤務成績および勤務態度が不良であつた旨主張し、証人木村琢磨の証言およびこれによつて成立の認められる乙第八号証の七、一三、二〇によれば、同原告の仕事振りは、時間さえ過ぎれば良いというような態度で、災害防止対策上冷凍機課全員が作業帽を着用することに決つたときも同原告は率先して反対したばかりでなく、他の同僚に対してまでも着用反対を扇動した有様で何かにつけて上長の指示命令にとかく反抗的傾向が強かつた旨、また職場の一般同僚との関係を見ても昼休みのときなど同僚と談笑することは極めてまれで、孤独的性格が強いように見受けられ、また外装作業より電装作業に移そうとしたとき、同原告は、新職場の班長の性格等を根掘り葉掘りしつこく聞きただし、不信の態度を露骨に示す等、性格的にも共同作業を主とする職場の従業員として適性を欠き、同原告は右のような性格なので甚だ使い辛かつた上、その仕事振りから、作業結果についても十分な期待がかけられないかのごとくみられるが、翻つて右木村証人の証言と同原告本人尋問の結果およびこれにより成立の真正を認める甲第三七号証、右乙第八号証の二〇によれば、右作業帽着用拒否の点については、会社が従業員らの作業中は作業帽(従業員各自の身の安全保護のため着用するもの)を着用することを決めたが、右作業帽は男子用が七五円、女子用が五八円であり、冷凍機課としては、安全表彰の賞金があつたので右代金のうち右賞金をもつて男子五五円、女子三八円をつぐない、残二〇円について、本工・臨時工を問わず一律に負担させることにしたが、同原告は本質的には帽子の着用そのものに反対したのではなく、右二〇円の個人負担は当然会社が負担すべきものである旨主張して職場の署名運動を行つたものであることが認められるのであつて、そもそも労働基準法第四十二条以下、その他の安全法規の趣旨からすれば、同原告の言分が強ち無根拠のものともいえないから、この点についての会社の主張は必ずしも当を得ず、他に同原告が性格的に好ましくなくこのことが作業の支障を来したことにより臨就規所定の解雇理由に該当することを確認するに足る証左はなく、また、同原告の勤務成績および勤務態度が他の従業員に比して特に良くなかつたという具体的事実を確認するに足りる証拠もない。次に、会社は、同原告が右解雇後解雇予告手当を受領したから本件解雇を承諾した旨主張するが、この点について、証人木村琢磨の証言およびこれにより成立の真正を認める乙第八号証の七と同原告本人尋問の結果を綜合すれば同原告は、同三五年一一月二六日(土曜日)午後三時三〇分頃被告会社の応接間に呼ばれ、そこで勤労課長から突然同月二七日付で契約期間が満了する旨告げられ、同日までの賃金および解雇予告手当一か月分を示されたので、同原告は解雇理由を教えて貰いたい旨述べたが、業務命令であるというのみで何ら合理的な理由を告げられなかつたこと、同原告がその場に三、四〇分いると、名下の押印を除いては、すべて会社側で作成ずみの予告手当金および給料の各領収証(乙第八号証の八の(イ)、(ロ))に捺印を要求され、同原告は周囲の状況から自己の意思に反して止むなく押印し、一応当該月の給料金三、三八九円および解雇予告手当金八、四九九円、合計一万一、八八八円を受領して(この金員の受領については当事者間に争いがない。)帰宅したものの、同原告は自分が傭止めさせられる理由がわからなかつたため同月二八日(月)午前七時四〇分頃会社に出勤し、始業後間もなく係班長に自己の解雇理由をたずねたが、班長では要領を得なかつたので、直ちに勤労課に赴き、その理由をたずねたところ、却つて勤労課長および同課員らから従業員証およびバツヂの返還を要求され、それを拒否すると、「返すまで帰さない。」等といわれて、半ば監禁状態にされたため、同原告は止むなく、同日正午過ぎ頃バツヂと従業員証を返還したことが認められるから、同原告が解雇されることを承認したとの会社の主張は当らない。

以上の事実を綜合して判断するとき、会社が同原告に対し解雇をもつて臨まなければならなかつた事由は認められないから、結局同原告に対する解雇の意思表示は無効であるのみならず、同原告が解雇を承認したことも認められない。

(二)  次に、同尾城彰子については、会社は、同原告が高等学校卒であるから、本工として採用するには、その学歴からみて事務職員にするほかないが、その成績からいつて事務職員として採用の見込みは全くなく、さればといつて、その性格も一般同僚との融和性に乏しいため、現場にとどめておくことも問題であつた上偶々ラジオの生産作業量が同三五年四月を頂点として、その後減少傾向にあつたため人員過剰を来したので同女を傭止めした旨主張し、証人木村琢磨の証言およびこれによりいずれも成立の真正を認める乙第八号証の九、一九によれば、同原告は昭和三四年三月中芸高校卒であるが同一職場の中卒者にも劣り、又仕事に身が入らず、性格的にもむつつりしていつも素直さがなく、極めて管理しがたい状態にあつた旨同女の直接上司である下級職制(班長等)からの下情上達により判定したことを認めうるが、これらはいかなる個々具体的事実に基いて綜合的に評価判定されたものであるかについてはこれを確認するに足りる証拠はなく、かかる場合に、会社としては能う限り適性ある他部門への配置換を考慮し、本人を説得して任意にこれを実現し、またその勤務成績、態度、その性格等についても一方的判断に偏ることなく具体的な裏付けを基いとし、できるだけ慎重かつ厳密に他の従業員との比較検討を行うことがより望ましいのであるにかかわらず、本件においては、会社は臨時工有期契約の見地に立つて、同原告に対し全然かかる措置を執つていないことは右木村証人の証言およびこれにより成立の真正を認める乙第八号証の九、一四および一九に徴して明らかである。

したがつて、同原告の勤務成績不良とか性格の不適当を前提とする会社の主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当とせざるをえない。

(三)  次に、同草地茂治については、会社は、同原告の仕事の能率の低下および通勤補助金の不正受領、本工登用試験二回不合格を主張するので判断するに、まず、右仕事の能率低下については、証人木村琢磨の証言およびこれによつていずれも成立の真正を認める乙第八号証の一五、二一を綜合すれば、同原告は、入社後一年四か月余を経た同三五年四月頃(当時同人はラジオの修理の作業に従事していた。)から作業能率が低下する一方で普通の者の半分から三分の一に漸次低下してきたこと、その能率の良否は工程における製品の平均仕上台数によつて決めていることが認められ、原告草地茂治本人尋問の結果によれば、同原告はラジオの修理作業(コンベイヤーで送られてくるラジオ機械を取つて修理する単独作業)に従事中も本来の作業以外の附随的仕事をもさせられており、しかも修理の仕事の内容が一台毎に難易を異にするためその仕上台数だけによつては能率の良否を判定しがたいことも推認されるが、しかし以上の各証拠によればこのことは独り同原告のみについていえることではなく、一コンベイヤーを担当する他の三、四名の者についても同様であること、当時ラジオ課職長飯田忠(本工組合員)が職場を歩き、同原告の作業状態をみていると、同原告はいねむりをしているのか、仕事をしないでうつむいているのをよく見かけたことおよび同職長が笛田班長を介して同原告に事情を聞いたところ、健康状態が悪いということであつたので同年七、八月頃には、同原告の残業を一時減少させて様子をみるうち、残業は普通にするようになつたが、作業能率の方はその後も思わしくないので訴外杉内組長から同原告にたずねさせると、同組長は同原告に対し「そんな工合ならば辞めたらどうだ。」と勧告したところ同原告は「まあしつかりやります。」と答えていたこと、その後同職長は修理作業は単独作業であるため能率が上らないのではないかと考え、同年一〇月中旬頃より単純なコンベイヤー作業による調整の方へ配転したが、そこでも他の者に比べて著しく作業成績が劣つていた(一日平均調整台数は一コンベイヤーを担当する他の三名―内一名は同原告より後に調整作業に移つた新人―に比して五分の一ないし二分の一であつた。)ことが認められ、右認定に反する以上各証拠部分および証人阿部スミの証言はたやすく措信しがたい。しかして、右事実関係の下においては、同原告の右所為は臨就規第八条(5)、(6)に該当する。ところで、同原告は本件解雇の意思表示は不当労働行為であり、また、思想信条を理由とするものか、又は解雇権の乱用である旨主張するを以て更にこの点について審究するに、被告会社柳町工場には本工を以て組織する労働組合が存在し昭和三三年一〇月頃から同組合青年婦人部が主催して「オンチコーラス」という合唱サークル活動が続けられていてこのサークルには臨時工の加入も認められていて多数の臨時工がこれに参加しており、同原告もその参加人の一人であつたことは会社において明らかに争わず、かつ、弁論の全趣旨に徴するも争つたものと認められないから、これを自白したものと看做すべく、このサークル活動により本工と臨時工との団結が強まると共に臨時工の労働者としての権利意識に目覚めてゆく傾向が出はじめたのでこれに対し会社が敵意を抱きその解体を意図した旨の同原告の主張については、これに添う証人渋谷、同竹繩、同坂口、同三松、同鈴木および同阿部の各証言ならびに同原告のほか原告榎本および同尾城各本人尋問の結果は証人木村琢磨の証言および弁論の全趣旨に徴したやすく措信しがたく、その他このサークル活動が労働組合の行為と認めるに足る証拠はなく、その他本件解雇が労働組合法第七条所定の不当労働行為のいずれかに該当することを確認する証拠もなく、更に本件にあらわれた全立証によるも同原告主張のごとく同人の思想、信条を理由とする解雇であることおよび解雇権の乱用であることの具体的事実を肯認しえないから、結局同原告のこれらの主張は採用するに由がなく、したがつて本件解雇は正当といわねばならない。

(四)  次に、同佐藤信吉については、会社は、同原告の転勤拒否、通勤補助金の不正受領および経歴詐称を主張するが、会社が同原告に対し昭和三八年四月三日特殊冷凍機器組立を行う柳町工場塚越分工場に翌四月四日から転勤するよう申し渡したこと、同原告がこれを即座に承諾せず、同月四日および五日と引続き会社から説得を受けたことは当事者間に争いがない。ところで、証人川瀬泰久、同小木曾義正、同木村琢磨の各証言および木村証人の証言によつてその成立の認められる乙第八号証の六の(八)によれば、臨就規には本工就業規則第14条ないし第16条所定のごとき転勤、転職に関する異動の定めのないこと、同原告は会社入社以来終始メツキ工として勤務していたこと、会社は昭和三七年終り頃から右塚越分工場を整備中であつたこと、その後右冷凍機部化工課は同部部長から化工課所属の従業員のうち一名を右分工場へ転勤させるよう割当てられ、同課では、課長、主任および組長が相談して人選した結果、右分工場の仕事に適正を認められる若くて健康で体力があり、通勤にも不便でない同原告を選んだこと、会社が同原告に転勤交渉をしたのは、業務命令としてではなく、その同意を求めるためのものであつたこと、しかし同原告は、右転勤交渉を、同分工場の環境が悪いことおよび現在の職場を変りたくないことを理由に拒否したこと、これに対し、会社は同原告の右転勤承諾を強く望み、交渉を続けていたところ、同月五日川瀬勤労課長代理が同原告に「行くのか、行かないのか。」とたずねたところ、同原告は「いきやあいいんだろう。」といつたこと、会社が同原告に対する右転勤交渉断念後は、右分工場から化工課へ他の従業員の派遣要請もなく、化工課も右分工場に他の従業員を転勤させていないこと、右塚越分工場にはメツキの仕事もなかつたこと、会社は、右転勤の人選について、右化工課には、メツキ室と塗装室があるが、当時比較的労務の逼迫していないメツキ室の中で単純作業をしている者の中から選ぶことにしたこと、同原告がメツキ室において常時約四〇ないし五〇時間の残業をしていたこと、塗装室からメツキ室へ五名程度の応援があつたこと、同原告はメツキ室において特殊作業手当を受けていたこと、同原告の解雇後は直ちに、同原告よりメツキ工として経験の長い本工をあてて、同原告の仕事を引継がせていることを夫々認めることができ、この認定をくつがえすに足る証拠はない。しかして、この事実によれば会社が同原告の配置転換を一方的に強制する法的根拠も規範的慣行もない以上、本人の同意なき限りこれを強行しうべくもなく、しかも同人が「行けばいいんだろう。」と最終的に答えたことは、その言動において上司に対し反抗的で穏当を欠くものではあるが、結局配転を承諾したものと認められるにかかわらず、これを拒否の意思表示と受取つて同人を解雇したことは、首肯しえないから、この点についての会社の主張は失当たるを免れない。

次に、経歴詐称の点については、成立に争いのない乙第四号証の二、証人川瀬泰久および同小木曾義正の各証言、原告佐藤信吉本人尋問の結果によれば、同原告は、入社前丸井ガラスに約三年八か月勤務していたが、会社に応募の際提出した履歴書(乙第四号証の二)にその旨の記載がなくその期間本籍地の自家にて農業に従事と記載されていること、同原告は入社後会社工場内での作業は支障なく行い、その勤務成績も普通であつたこと、また、右丸井ガラス在職中には、何ら問題になるようなこともなく、仕事が同原告の性格に合わなかつたため任意退職したものであることが認められ、この認定を妨げる証拠はなく、右履歴書調査は前記同原告の塚越分工場配転換の接渉中にはじめてなされたものであることは会社の自陳するところである。ところで、臨就規第八条によれば、経歴詐称があつた場合には、その従業員を解雇しうる旨定められていて、自己の経歴を詐称するが如きことは固より労使関係の信頼性を破り企業秩序に悪影響を及ぼすもので許さるべきことではないが、同原告の右履歴書不実記載が殊更悪意を以つてなされたことおよびそれが同原告の会社における職種、配置、仕事に特段の影響を与えたことの証拠はなく、又雇傭当時その事実が判明していたならば、雇傭しなかつたであろうという具体的な因果関係の存在をも認めるに足る証拠はなく、却つて、前顕川瀬証人の証言によれば、同原告が入社の際履歴書に右の記載をしたとしても採用していた筈であることが認められるから、同原告の右所為を臨就規第八条(7)、第九条(4)所定の経歴詐称に該当することを理由とする解雇は行過で不当である。次に、通勤補助金の不正受給の点については、いずれも成立に争いのない乙第四号証の三および四ならびに証人川瀬泰久および同小木曾義正の各証言、原告佐藤信吉本人尋問の結果を綜合し、弁論の全趣旨に徴すれば、同原告は、昭和三七年一二月一四日川崎市北谷町五の二本間方から同市古川通一〇四大野荘内に転居したが、先に市役所で住民票を訂正してから会社に右転居を届出ようと考えていたものの、仕事が多忙のため市役所へ行く時間的予猶がなく、延び延びになつていたところ、同三八年四月初め頃所属の上野班長に右の事情を話してたずねると、同班長から、会社に届出ることを勧められ、同原告は、同年四月五日付をもつて会社に右転居届をしたこと、同原告は、右転居届が遅れたため同三八年一月から三月まで一か月金二九円の通勤補助金を理由なく受領していたことになるので右班長に右三か月の補助金合計八七円を持つて返還にいくと、森組長に渡すようにいわれたので、同組長にこれを返金したところ、本件解雇通告二、三日前の同年五月七日頃同組長から右補助金八七円を再び戻されたので不審に思い庶務課にたずねると、勤労課に問い合わせた結果、一〇〇円未満の端数は翌月の月給から差引くことになつている旨伝えられたことが認められ、右認定に反する前顕川瀬証人の証言部分はたやすく措信しがたく、他に右認定を妨げる証拠はない。右のごとき事情の下において同原告の右所為が臨就規第八条(7)、第九条(2)に該当するものとはいえないから、結局本件解雇は不当とせざるをえない。

(五)  次に、同伊藤洋子については、会社は、同原告の持物点検拒否ならびに契約更新手続拒否を主張するが、これらの点については、証人藤川太朗の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第九号証の一四、原告伊藤洋子本人尋問の結果を綜合すると、会社は、昭和三七年六月二八日従業員の退社に際しその持物点検を行つていたが、その点検は、同原告はもとより従業員一般についても、社製品持出しの疑があつて行つたものではないこと、同原告は当日退社に当り手提袋の中に、アカハタ本紙一部、同日曜版三部および物価値上反対の署名簿、ノートを入れて会社の門附近に差蒐つた際警備員から点検を求められたので、一旦は袋の中を見せたが同警備員から更に「新聞の下の堅いものは何だ。」と聞かれ、同原告の所持していた右署名簿には職場の中で物価値上に反対する多くの署名がなされており、その署名者らはいずれも同原告が会社に見せないことを信頼して署名したものであることと右署名運動を会社はきらつていること等の理由から、それ以上の点検を拒否し、警備員と言い争いになつたこと、その後会社は、同年七月二日右事実調査のためと同原告から釈明を求めるため、警防課係長および同係員ならびに所属上長立会いの許に、警防課事務室において面接し、事実調査を行つたが、その際同原告にその場で事実顛末書を作成して提出するよう命じたので、同原告は「家へ帰つて考える」といつてその場は別れたものの翌七月三日再度右係長から警防課に呼び出され、右事実顛末書の提出を求められたが、その日も右提出を拒否したので、同月五日所属課長が同原告を訓戒し、その後同月二八日になつて、藤川勤労課長および同原告所属の芦崎主任ら立会いの許に、同原告の前記点検拒否は臨就規違反である旨および同原告との雇傭契約は七月末日でその期間が満了するが、八月一日から一〇日間の雇傭契約をするからその間に反省、善処方を考えるようにと勧告したところ、それに対し同原告は、「自分はあくまで正しい。」と主張し、八月一日からの契約書を作成せずに立去つたことが認められる。ところで会社は、右持物点検については、臨就規にその根拠がある旨主張するが、臨就規(前顕乙第八号証の六の(イ))第二七条によれば、「日常携帯品以外の物品を持つて出入するときは、所定の手続を経て警備員の点検を受けなければならない。」旨規定されており、右所定の手続とは、証人藤川太朗の証言によれば、社製品を持出す場合には会社から物品持出証の交付を受ける手続になつており、それを意味することが認められるのであつて、これによつて同条の規定の趣旨をみるとき、それは日常携帯品以外の物品を持つて会社に出入りするときは、その出入りする者が自発的に会社の定める右手続を経た上で、警備員に対し、当該物品がその手続を経た物品であるかどうかの点検を受けなければならないことを定めたものであつて、警備員が会社に出入する臨時工に対し一般的、個別的に持物検査をなしうる根拠を定めたものとは認められない。しかして、成立に争いのない乙第八号証の六の(ロ)および右藤川証人の証言と弁論の全趣旨に徴すれば、本工についてはこれと異り従前から前記臨時工に対する臨就規の規程に加えて「事業場構内において警備員が所持品の点検を要求したときは、これに応じなければならない。」との定めがあり、これが本工労働契約の内容にもなつていて一方的検査の包括的事前同意の存在と認められるに拘らず、臨就規にはこの規定が欠如していてこれに信倚して入社した臨時工の立場としては同原告の点検拒否も、その態度において不穏当な点があつたことを認めるに吝さかではないが、必らずしも不当なものとはいえず、会社としては企業経営上本工と同様の措置を必要とするであろうが、要するに臨就規制定の不備、欠陥に基因すると断ぜざるを得ない。この点についてこの規則の缺欠の下では、万一刑事犯罪の疑等のある場合には当該手続に委ぬべきであり、又、成立に争いのない乙第九号証の一七に徴すれば東芝堀川町労組教宣部編集、書記局発行組合日報No.3081(一九六二年八月一一日発行)には同原告の解雇につき組合執行委員会はこれを止むを得ないものと結論した旨の記事が掲載されていることが認められるが、その理拠は右臨就規ではなくして右本工就業規則であり、しかも爾後臨時工は同本工就業規則に則り警備員の点検に快く応ずるよう将来の希望をのべたものであつて、これのみによつて、右の判断を左右することはできない。また、同原告の契約更新手続拒否の点については、前示のとおり、同原告の本件雇傭契約関係は期間の定めのないものであるから、同原告が同年八月一日以降の契約書を作成しなかつたことによつて会社と同原告との労働契約が消滅すべきいわれがない。

(六)  次に、同三松美恵子については、会社は、臨時工の三年傭止め制の実施および同原告の職場に対する不満の多いこと、同原告の作業能力が劣つていること、出勤率の不良なことを主張し、右三年傭止め制の主張については、証人梅津正隆の証言およびこれによつて成立の認められる乙第九号証の一一および同原告本人尋問の結果を綜合すれば、会社がいわゆる三年傭止め制を樹立したのは同原告入社後三年余を経た昭和三七年で、会社は同年六月八日付で同原告に対し臨時工の三年以上勤続は認めない方針になつているところ、同原告はすでに三年以上勤務しているから今回の本工登用試験に不合格になつたり、受験を放棄した場合には契約の更新を行わない旨の通告をしていること、右通告一週間後位いにトランジスター工場大食堂において本工登用試験が行われたが、その際同原告は受験者多数着席中突如大声で右三年傭止め制に反対したが、会社側試験委員の適切な措置により同試験は平穏裡に終了したこと、同原告はその後同年七月二七日付で右試験の不合格および右三年傭止め制を理由とする更新拒絶の通知を受けたこと、同原告が会社入社時にはかかる制度はなく、入社時はもちろん、その後も右通知を受けるまで右三年傭止め制について、説明を受けたことはなく、労働契約の内容にも、臨就規にもその定めがないのみでなく前認定のごとく臨就規第33条には年次有給休暇の算定について一〇年以上の継続雇傭をすら予定していること、殊に同原告が右三年傭止め制の通告を受けるまでに入社後すでに三年六か月も経ていることが認められ、この認定を妨げる証処はない。ところで、同原告が試験場で突如三年傭止め制反対を叫んだ態度の穏当でないことは明らかであるが、会社が従業員の入社後新たに従業員にとつて不利益な制度を設ける場合、契約当事者双方の合意にもとずく場合は格別、本件のように、会社から一方的に通告することによつて、その効果が遡及的に当然発生するものではないと解すべきところ、同原告は、入社後三年六か月も経過しているのであるからその入社日に遡つて年数を算定し三年の傭止め制を通告し、これを基準として同人を処遇することは許されないというべきであつて、実害の伴わなかつた同原告の右奇嬌な言動のみを捉えて直ちに解雇することは行過である。次に、職場に対する不満の多いとの点および出勤率の不良の点については、証人渡辺深雪、同斉藤槇二郎および同梅津正隆の各証言、同原告本人尋問の結果ならびに右梅津証人の証言によつて成立の認められる乙第九号証の一二を綜合すれば、同原告は、入社後トランジスター工場第二製造課に配属になつたが、同課は、製品の管理上自動調節器によつて常時室温を摂氏二五度プラスマイナス一度に、また湿度も一定に保たれていること、同原告は当初同課の高周波トランジスターの組立作業の中のマウントの突込作業(これは、ゲルマニウムの薄片に溶着されたドツトという粒子にピンセツトを使つてソードワイヤーを突込む作業のこと)に従事していたが、何かと職場や仕事に不満が多かつたので会社は三五年三月頃ペレツトソウテイング・マシン(これは、ゲルマニウムの薄片の厚さを自動的に測定する機械のこと)の抜取測定の作業に従事させ、なお能率が上らなかつたのでその後同三六年二月頃アローイングタブ詰め作業(これは、冶具の中にピンセツトでタブという金属片をつまんで入れる作業)に移し、その後また、最も単純な作業であるマーキング作業(これは、組立てられたトランジスターにマークをつける作業)に従事させたこと、同原告は、右マウントの突込作業に従事していたときには疲労を訴え、次の抜取作業に従事していたときには、「目がチカチカする。」と訴え、次のタブ詰め作業では「うつむいて仕事をすると頭が痛くてしようがない。」と訴え、次のマーキング作業では「温度が一度高い、二度高い。」といつて兎角職場での不満を訴えていたこと、同課の従業員の中には、空気乾燥による蓄膿症や神経痛に罹患するものが多かつたこと、同原告も同三五年一〇月頃と同三六年七月頃、同三七年八月過頃の三回にわたつて蓄膿症のため各一か月位いの入院加療していること、右入院の際毎回手術を行つたが初めの二回は術後の経過が思わしくなく通院治療の必要上欠勤がちであつたが、本件傭止めの通告を受けた後に行つた三回目の手術によりようやく快方に向つたこと、同原告の本工登用試験査定の際、同原告は、昭和三五年八月頃から出勤率が不良になり、同年一〇月頃から同三六年三月までの実働率が七二・三パーセントであり、又最終のマーキング作業での能率は八〇ないし八五パーセントであつたことが認められ、この認定を妨げる証拠はなく、この事実に徴すれば同原告の態度は穏当を欠く点があるが、職場に対する不満や出勤率の不良は主として同女の右鼻疾に基因するものと認められ、それが必ずしも同原告のいうごとく会社の右職場従業員に対する環境衛生の不備に因るものと断定しうる根拠はなく、あるいは自己の日常生活における健康管理の不十分さや体質に基因するかもしれないが、なお宥恕すべき点もあり、少くともかかる疾病の下において不充分ながら最後のマーキング作業で八〇ないし八五パーセントの能率を保持していた(全快すれば一〇〇パーセントの期待もないことはない。)ことに鑑みれば、同原告に対して臨就規第八条(5)、(6)の解雇事由を適用することはいささか過度と思料される。それ故に、同原告に対する本件解雇は結局解雇権の乱用になり不当とせざるをえない。

(七)  次に、同廣文子については、会社は、同原告の成績不良および東芝商事への転出拒否を主張するので、まず、同原告の成績不良の点は、証人梅津正隆および同斉藤槇二郎の各証言と同原告本人尋問の結果とを綜合すれば、同原告は、入社当初第二製造課で高周波トランジスターの測定検査を担当していたが、入社二年六か月後位いに同系統のドリフト・トランジスターの測定検査係に移り、その仕事に従事していたが仕事中いねむりをしそのため測定上の過誤から不良品を出し品質管理課から指摘されたので職制からしばしば注意を受けたが却つて反抗的な態度を執つて改めず、その後右第二製造課は同製造課と第七製造課の二つに分離した際昭和三七年九月同原告は比較的重要度の低い第七製造課の逆特性の測定の仕事に従事するようになつたので同人が居眠りをしないようにその席を安全通路の所に就けたところ、そこでも作業中雑談したり歌詞を紙に書いたりして作業能率が上らなかつたこと、右各作業の内容が会社主張のとおりであること、右ドリフトの作業従事中同年三月頃肥厚性鼻炎で手術を受け一週間位入院したが作業には影響がなかつたことおよび会社では年二回従業員の定期検診をするが同原告が居眠りするような肉体的欠陥、故障はなかつたことを認めることができ、同原告本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、他に同認定を妨げる証拠はなく、この事実によれば同原告の所為は臨就規第八条(6)に該当するところで、同原告は本件解雇の意思表示は不当労働行為か、思想信条を理由とするものか又は解雇権の乱用である旨主張し、同原告が地域の若者の民主的サークルである「手のひらの会」や「みどりの会」等に加入していたこと、原告三松の解雇反対運動の一端である寮内でのカンパ集めを行つたことは証人渡辺および同岩原の各証言、同原告および原告三松各本人尋問の結果によりこれを認めることができるが、会社がこれらのことを嫌忌して同原告を解雇したという右各証人の証言および右各原告本人尋問の結果は前顕梅津、斉藤両証人の証言に照しにわかに措信しがたく、他に同原告主張の不当労働行為、解雇権の乱用又は思想信条に因る解雇であることの具体的事実を確認するに足る証拠はないから、結局本件解雇は正当といわねばならない。

以上の通り、原告草地および同廣を除くその余の原告らに対する本件各解雇は同人らの所為がそれぞれ解雇事由を定めた臨就規第八条および第九条のいずれの解雇事由にも該当しないか、又は該当してもなお会社としては同人らの有する労働契約上の法的地位(本工ではないが、雇傭期間の定めのない労働者)にかんがみれば同人らに対し更に他に有効、適切な措置を執る裁量の余地が絶対になかつたとは認められないから解雇権の乱用となり、いずれにしてもその解雇は無効たらざるを得ないが、原告草地および同廣に対する解雇は正当である。

四  次に、原告らの会社に対して求める賃金の性質が原告ら主張のごとき日給ではなくして会社主張のとおり日当であることは成立に争いのない乙第八号証の六の(イ)(臨就規第37条)に徴して明らかであるところ、原告らの本件解雇当時の日当は、原告榎本が二九五円、同尾城が二八五円、同佐藤が四四〇円、同三松が四五五円であり、同伊藤が四二五円であり、榎本は昭和三五年一一月二七日まで、尾城は同年同月三〇日まで、佐藤は同三八年四月一五日まで、三松は同三七年七月三一日まで、伊藤は同年七月二八日までの各賃金の支払いを受けていることおよび右原告らの日当計算期間およびその支払日が同原告ら主張のとおりであることは当事者間に争いなく、したがつて原告らが解雇の通告を受けた月の未払賃金残額は、稼働可能日をそれぞれ原告榎本が一六日、同尾城が一三日、同三松および同伊藤がいずれも一二日として算出しうべく、また右各年月日の翌日以降の月額は右各賃金額と日当額より算出し同原告らの雇傭契約の性質と弁論の全趣旨に徴すれば一か月の稼働日数を各二五日とみるを相当とするから、この基準に従つて算出すれば会社は右原告らに対しそれぞれ、別紙賃金表(一)記載の金員(ただし、原告榎本が会社主張の解雇予告手当を一旦受領したことは当事者間に争がなく、これを返還したことについてはなんらの主張、立証もないからこの分は控除して計算する。)および右原告ら解雇後の統一時点として同人らの主張する昭和三八年六月以降毎月二六日に同賃金表(二)記載の金員を支払うべき義務がある。

因みに、いわゆるバック・ペイに当つての他収入控除については、本件において会社はなんらの主張、立証をしていないから、この点は考慮するに由がない。

五  されば、原告榎本、同尾城、同佐藤、同三松および同伊藤の本件各請求は理由があるからいずれもこれを認容し、その余の原告両名の本件請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 若尾元 吉田良正 松田光正)

(別紙賃金表省略)

(別紙)

臨時従業員就業規則(抜萃)

(解雇)

第八条 次の各号の一に該当するときは、これを解雇する。

(1) 死亡したとき

(2) 退職を願い出て承認されたとき

(3) 契約期間が満了したとき

(4) 業務上止むを得ない事情あるとき

(5) 心身の故障により、業務にたえられないと認められたとき

(6) 仕事の能力が著しく劣り、又は職務に甚だしく怠慢なとき

(7) 秩序保持上やむを得ない事由あるとき

(秩序保持上解雇事由)

第九条 前条第7号の秩序保持上止むを得ない事由とは、次の場合をいう。

(1) 正当な理由なく、会社の指示命令に従わないとき

(2) 正当な理由なく、又は届出を怠り、度々欠勤、遅刻、早退、外出し、その他職場を離れ又は引続き欠勤七日以上に及んだとき

(3) 他人に暴行若しくは脅迫を加え、又はその業務を妨害したとき

(4) 経歴を詐り、その他不正な方法を用いて雇い入れられたとき

(5) 会社の秘密を社外に洩らし、又は洩らそうとしたとき

(6) 業務に関し、私利を図り、又は不当に金品その他を授受したとき

(7) 不正に会社の物品を持出し、又は持出そうとしたとき

(8) 故意又は重大な過失により、会社に損害を与え、又は、信用を傷つけたとき

(9) 破壊的若しくは煽動的な言動をなす等、会社業務の運営遂行を妨害し、又はその惧れのあるとき

(10) その他前各号に準ずる程度の不都合な行為のあつたとき、又は、その規則に違反してその情状が重いとき

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